野沢那智さんを偲んで
去る2011年2月14日、「野沢那智さんのお別れの会」が行われ、多くの方が野沢さんを偲んで参列されました。
今回の「ふきカエルインタビュー」は、参列された方々にいただいた野沢那智さんへのメッセージを掲載いたします。

 
 
野沢さんお別れの会2010年10月に亡くなられた野沢那智さん(享年72)のお別れの会が2011年2月14日、東京會舘で行われました。関係者600名以上、一般の記帳者350名余り、計約1000名が参列され、長年にわたり声優・演出家として活躍された故人を偲ばれました。

祭壇には愛用の机が置かれ、その上に主宰した劇団薔薇座時代の上演台本、愛用のジャンパーやメガネ、息子さんから贈られた時計などが並び、そしてその上にはピンクのシャツにピンクのカーディガンを肩にかけた那智さんの遺影が掲げられていました。さらに那智さんがお好きだったという百合の花が一面に飾られ、参列者の献花はこれも故人がお好きなピンクのお花という、しめやかな中にも那智さんらしい雰囲気の会でした。

野沢さんお別れの会折しもこの日はバレンタイン。献花台にはチョコレートがそっと供えられていました。
さらに会が始まる前には雨でしたが、皆様のお帰りになる頃には東京で今年一番の大雪となり、涙雨ならぬ名残り雪で、最後まで心に残る会となりました。

 
 
 
この会に参列された方々の野沢那智さんとの思い出話やメッセージを掲載させていただきます(五十音順)。
野沢那智さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

有本欽隆氏(俳優)
なっちゃんとは、薔薇座が始まる前からの付き合いなんですよ。薔薇座の創立メンバーでもありましたが、なっちゃんの演出は正直、二度と受けたくない(笑)。稽古場は地獄でした!(笑)


池田昌子氏(俳優)
那智さんと最後に共演したのは、PARCO劇場で上演された『ラブレターズ』という作品でした。2回目の公演が終わって那智さんからお電話を頂いた時に、「ここまできたら、あと何十回でもやってパーフェクトを目指したいです。これからも付き合って下さいね」と仰ったんです。とてもパワフルで、エネルギッシュで、本当に凄いなと思ったんです。
舞台上の那智さんからは、スタジオの中とは全く違ったオーラを感じまして、あぁ、やっぱり凄い方だなと思いました。
その後、一度も演れずに先に旅立たれてしまって本当に寂しいです。
でも、聡さんや手塩に掛けたお弟子さん達が沢山いらっしゃるので、きっと跡をお継ぎになって、これからも素晴らしい作品を創って下さるだろうと、期待をしております。


池水通洋氏(俳優)
那智さんとは、亡くなる20日くらい前に電話でお話ししましたが、まさかこんな事になろうとは夢にも思いませんでした。大きな才能が失われた事は非常に残念でなりません。
まだまだお若い。これからどんどん引っ張っていってくれる方でしたので。残念です。


大平透氏(俳優)
彼はクールで厳しさが大変目立っていたけれども、父親としても人間としても、とても温かいものを十分に持っていました。


玄田哲章氏(俳優)
思い出というと、本当にキツい思い出ばかりですよ。
劇団時代は楽しい思い出なんてひとつもないのだけれど、でも今思うと、とても有り難かったと思います。とにかく芝居に対する情熱が凄い方だったので、その環境に自分が居られたというのは本当にありがたいことだと思います。
帰って来て下さい!早すぎます!


佐藤敏夫氏(ディレクター)
彼がオフィスPACを立ち上げた時に、何度か講師という形でお手伝いをさせて頂きました。亡くなる数日前に電話で話しをしたのですが、とにかくPACの事を心配していました。
レギュラーでご一緒した事はあまりありませんでしたが、昭和49年に『コルディッツ大脱走』という作品を一緒にやっていた時に、当時、薔薇座に在籍していた玄田君(玄田哲章氏)や雅羅さん(高島雅羅氏)をはじめ、若い人達をどんどん紹介してくれた事が思い出に残っています。


白石冬美氏(俳優)
なっちゃんとの思い出は沢山ありすぎて、何をお話したら良いのか……。
なっちゃんって浜町育ちで、お母様は小唄の先生だったんです。私はお母様の三味線で踊ったりした事もあるんですよ。なっちゃんの粋な所はお母様の影響だったのだと思いますし、お父様が作家でしたので、お芝居が好きになったのも納得ですよね。
なっちゃんて、本当に不思議な人でした。七変化みたいな人(笑)。とにかく熱い人でしたよね。OAの赤ランプが点くと、本当に人格が変わったり。
いつも必ず苦労を背負っているから、私が冗談で「剣山に刺さってないと咲いていられない生け花みたいね」って言ったら、笑っていました。なっちゃんとの思い出って言われたら、今はもう全部が思い出です。


高島雅羅氏(俳優)
今、私がこの仕事をしていられるのは、全て野沢さんのおかげでございます。大恩人です。
当時、薔薇座に関わっていた方々は、みんな野沢さんから沢山色々なものを頂いて、それが土台となって表現者としていられるのですから、みんな感謝しています。ありがとうございました。


高橋剛氏(ディレクター)
『刑事ナッシュ・ブリッジス』という作品を6シーズンご一緒にやらせていただき、それがご縁で親しくさせて頂きました。シーズンの途中で同じ大学の先輩であることがわかったのですが、その時野沢さんが「本当は大学中退なんだけど、有名になったから名誉卒業生という事になっているらしい(笑)」と、そんなお話でスタジオ内を盛り上げて下さった収録現場でした。今でもスタジオに行けばお会いできる様な、そんな感覚があるので、今日が自分の気持ちの中でひとつの区切りになるのかなと思っています。


戸田恵子氏(俳優)
売れない歌手時代に研究生として薔薇座に入れて頂いて、お芝居の手解きをしてもらって、大変厳しく厳しく厳しく育てて頂きました。
稽古に明け暮れた劇団時代……。それしか思い出せないです。
上手くはなっていないのですが、本当に強い女優になった事には心から感謝しております。私の中では、野沢さんが亡くなったとは全く認識しておりません。今もどこかで見守って下さっていて、ダメ出しをされている様な気分のまま、これからも過ごしていたいと思っております。
現実を言えば、感謝。この二文字しかありません。
私のお芝居の全ては劇団薔薇座にあって、私のお芝居は野沢流である。
こう思っております。ありがとうございました。


羽佐間道夫氏(俳優)
アラン・ドロンとディーン・マーティンが共演する『テキサス』という映画で一緒だったのですけれど、その作品でなっちゃんと僕は、枠から外れたアテレコを演ったと思っています。吹き替えというか、二人で漫才やってるみたいでした。二人とも“外れてる”という共通点を持っているのを確認したことが思い出ですね。


福田信昭氏(俳優)
那智さんと41年前に初めてお会いしたその日、なんとご自宅に泊めてくださって、朝までお芝居の話をしてくださいました。
さらに当時烏森口にあった稽古場も見せていただいたり、実際の番組の収録現場にも行かさせて下ったのですが……。
すみません!自分は薔薇座には行かずに青年座に行ってしまいました!いまここで謝りたいと思います。
那智さんが学校を作られる時に「手伝ってくれ」と言われて、自分ももちろんですが、講師をご紹介させていただいたりして、本当に少しではありますがご恩返しができたかなと、思っております。
たくさんのことを教えていただきました、ありがとうございました。


矢島正明氏(俳優)
なっちゃんは、とにかく熱い人でしたからね。言葉が悪いかもしれませんが、エキセントリックといいますか。薔薇座で突然方向転換をしたり。しかし、その方向転換したジャンルに全ての情熱を注ぎ込む、熱い人です。僕にはない所ですから、彼にはいつも刺激を受けていました。
なっちゃんとの思い出と言えば、『パックインミュージック』ですね。この番組が始まった時、実は僕は土曜日担当で彼は木曜日担当だったのですが、たちまちの内に「なっちゃん・ちゃこちゃん」が人気を得て、全て彼に持っていかれてしまいました(笑)。僕は、なっちゃんにはいつも負けている人生でありまして(笑)。それもまた、過ぎてしまえば懐かしい思い出です。


山寺宏一氏(俳優)
那智さんは本当にあこがれの方で、ラジオも、もちろん洋画の吹替えもアニメもナレーションも全てやられてて、僕がやりたいと思っていることを先に、そして全部を極められていらっしゃってて、僕がいくらがんばっても追いつかないなと普段から思っていたのですけれど……。
以前『ゴッドファーザー』のアル・パチーノを一度だけ演らせて頂いたことがあって、もう、それこそ誰もが「アル・パチーノといえば那智さん」と思ってらっしゃるのに、風の噂で僕が一回演ったというのをお聞きになったらしく、ある時現場でご一緒させていただいた時に「お前なら許す」って言っていただいて、本当に涙が出るほどうれしかったです。
本当に認めて下さっていたかどうかはわかりませんが、「がんばれよ」とおっしゃって下さいました。これは一生忘れられない言葉です。
まだまだ全然追いつけませんが、少しでも那智さんに近づけるように僕もがんばっていきたいと思います。
ご冥福をお祈り致します。


若山弦蔵氏(俳優)
彼とは殆んど接点を持てませんでした。僕が『ナポレオン・ソロ』で次週予告を担当していた事を除いては、アテレコをやる機会も無かったし、ラジオドラマをやる機会も無かったのです。そんな少ない機会でも、僕にとっては非常に気になる存在でしたので、接点を持てなかった事を、今とても残念に思っています。


(五十音順)

ご協力いただいた皆様、心からのメッセージをありがとうございました。 
 
 

野沢さんお別れの会野沢 那智
(のざわ なち)
1938年1月13日生まれ。東京都出身。國學院大學を中退の後、劇団「七曜会」に入団。その後、劇団「城」、プロダクション「俳協」を経て、1977年(昭和52年)劇団「薔薇座」を設立。演出家・声優として幅広く活動の傍ら後進の育成につとめていたが、2010年10月30日に永眠。享年72。

主な出演作品
【洋画】『太陽がいっぱい』(アラン・ドロン)、『エデンの東』(ジェームス・ディーン)、『愛と哀しみの果て』(ロバート・レッドフォード)、『ゴッドファーザー1・2・3』(アル・パチーノ)、『ダイ・ハード1・2・3・4』(ブルース・ウィリス) 他多数
【海外ドラマ】『0011 ナポレオン・ソロ』(デビッド・マッカラム)、『刑事ナッシュ・ブリッジス』(ドン・ジョンソン) 他多数
【アニメ】『新エースをねらえ!』(宗方 仁)、『スペースコブラ』(コブラ)、『花田少年史』(徳路 郎)、『チキチキマシーン猛レース』(ナレーション) 他多数
【ラジオ】『パックインミュージック』TBS、『ハローモーニング』文化放送