飯森盛良のふきカエ考古学

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オール声優大進撃『遠すぎた橋』はヨーロッパ戦線のインパール、ノモンハンだ!の巻

以前『鷲は舞いおりた』についてこの場で熱く書かせていただきました。あれ一番好きな戦争映画なんですが、それと甲乙つけがたく好きなのが今回の『遠すぎた橋』です。10月ふきカエ放送します。
ふきカエレビュー201809飯森

これは『史上最大の作戦』に始まるオールスター二次大戦大作映画ブームの最後を飾る作品ですが、オールスターだからこれ、ふきカエも凄い!エドワード・フォックス羽佐間道夫、ショーン・コネリー瑳川哲朗、ロバート・レッドフォード広川太一郎、ジーン・ハックマンも出ているのに石田太郎がアンソニー・ホプキンスで小林修はマイケル・ケイン、そのジーン・ハックマンは上田敏也、という面々。いや、オールスター映画なのでこの調子で名前挙げていくとマジでキリありませんから詳しくは各自 Wiki でご確認ください。

時は二次大戦後期の44年、ノルマンディー上陸成功後の連合国軍反転攻勢・ナチ潰走期。仏から蘭(独占領下)に入り独本国にまで討ち入ろうという「マーケット・ガーデン作戦」が決行されます。まず、連合国軍の各国パラシュート部隊が蘭領内に降下し5つの橋を占拠。でも空からジャンプして降りてくるので大型の武器は携行できず軽武装。だから長期間は敵を食い止められない。なので確保したら味方戦車部隊が道路を爆走して来援に来て、その橋を次々走破し一気に蘭を解放し、独本国まで攻め込まねばならない。遅れるとパラシュート部隊は逆に独軍の恰好のカモになっちゃう。で、結局そうなっちゃった…という史実が描かれています。

これ“逆プロジェクトX”みたいな話で味わい深いんですよ。本家プロジェクトXは、周囲は失敗するとあなどっていたプロジェクトが、割と閑職に追いやられているような立場の担当者の努力と英知と信念×横紙やぶりな上司の決断によって、劇的な成功をおさめる!という、しがないサラリーマン(つまり俺)が見てて思わずガッツポーズなアガるドキュメンタリーでした。

でも世の中にはその逆もある。担当者/責任者があまりに無能すぎて失敗するケース。そのプロセスを検証していきましょう、というのが逆プロジェクトXです。これもまた、リーマン視点で見ると身につまされて、逆の意味で味わい深い。『遠すぎた橋』で描かれるマーケット・ガーデン作戦がまさにそれ。ふきカエにも、無能野郎が吐く責任回避と自己保身のトホホ台詞、逆プロジェクトX的脱力系迷台詞があふれており、全国4000万サラリーマン必聴です!

去年夏のNスペの神回『戦慄の記録 インパール』も今年の『ノモンハン 責任なき戦い』もリーマン視点から大いに考えさせられる内容でした。名著『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』もビジネス書として数多くのサラリーマンに読み継がれてきた。でも、別に日本軍だけじゃなかったんです。連合国軍にだって、部下の死体の山を築いちゃう“なぜか出世して偉くなっちゃってる無能野郎”は存在した。“誤った決定でも決定した以上は覆せない硬直した組織”も存在した。ウチの国だけじゃなかったんです!ワタクシと同じサラリーマン稼業のお父さん方!この『遠すぎた橋』は、そういう観点で見ると大変に味わい深い、間違いない作品です!!

とはいえワタクシ、初めてこの映画を見たのは高校の時で、そんなリーマン視点なんて持ってなかった。それでも十分面白かった!木曜洋画で見ました。アトリエうたまるで調べると1991/09/26と出てくる、多分それ。でも Wiki によると本当はこのふきカエ、1978年10月11日『水曜ロードショー』が初回放送で、「日本テレビ開局25年記念番組(中略)11日に前編、18日に後編を放送した」らしく、当時はそれぐらい大きな扱いを受けていた超大作なのです。ふきカエ版制作は弊社こと東北新社。

というか劇場公開も弊社が手がけており、社史にドヤ顔で「1977年 劇場映画『遠すぎた橋』を配給し、大ヒット」と書いてあります。その会社で将来働くなどとは夢にも思わず、いちミリオタ高校生として、何度目かの再放送である91年の木曜洋画を見たんですな。これが、戦争映画として非常に良かった!

実は、話がきわめて複雑で、1回見ただけでは到底理解できず、VHS録画で何度も繰り返し見たり、『月刊PANZER』のマーケット・ガーデン作戦の記事を読み込んだりして理解に努めたのですが、この“子供には手に余る感”が、逆に大人向け本格戦争映画の風格で良かった。

ワタクシが見た回ではない、さらに後年の、確か午後ローだったかでの再放送では、スーパーインポーズで黄色い線画の地図が画面左下に焼きこまれていた記憶も、ウロ覚えにある。いま画面に映っているのがどの地点にいるどの部隊なのか、見ているうちに混乱して区別がつかなくなってくるからです。A地点にいる米軍、 B地点にいる米軍、A地点にいる英軍、と複雑につないでいく映画なので。だから解りやすくするためには、そんな工夫も必要。そもそも元の字幕版からして英語テロップで地名などがバシバシ入ってくる。でないと誰も理解できない。

この硬派な大作を監督したのはリチャード・アッテンボロー。10月にウチのジュラシック特集でかける『ジュラシック・パーク』の大富豪、ハモンド翁(CV:永井一郎)役でお馴染み。あとウチで今やってる『大脱走』での、脱走グループのリーダー バートレット(CV:宮川洋一)役でもお馴染みですが、この人は『ガンジー』でアカデミー監督賞獲ってる(作品賞も)大監督でもあります。あと初監督作『素晴らしき戦争』もウチで今やってますが、あれは一次大戦に材をとった戦争風刺の良作でした。ヨーロッパ人が描く本物感、風格がそこにはあった(サー・アッテンボローは英国人。後に男爵に叙される)。それは『遠すぎた橋』にも横溢してます。ハリウッド映画ではちょっと出せないムードです。

そういう観点から『遠すぎた橋』は、ぜひ字幕でもご覧いただきたい作品。

本作、OPは戦時中の記録フィルムとリヴ・ウルマンのナレで始まるのですが、そこからしてすでに鳥肌モンの風格。戦況説明のナレで始まる戦争映画には毎度身震いしますな、『鷲は舞いおりた』しかり。それとエンドロールも良い。陰々滅々たるBGMが流れながら悲惨な作戦失敗で本編が終わった後、「それでも戦いは続く。今度こそ勝利を目指し、生き残った漢たちは次なる戦いの準備を明日から始める」みたいな感じで、ピッコロ ソロの控えめな編曲でメインテーマの行進曲が流れ始め、次第に本来の勇壮なオーケストラアレンジに戻っていって終劇!となります。これらは、ふきカエ版では残念ながらカットされていて字幕版でしか味わえません。

あともう一つ、原語では、独語に蘭語、英国英語に米英語と、ゲルマン語派の諸語が乱れ飛ぶマルチリンガル映画です。この各国語でのセリフを聞いていると“世界大戦”というものを耳で感じられたような気になるのです。ふきカエのナチ将校マクシミリアン・シェル家弓家正、ハーディ・クリューガー内海賢二など必聴なのは言うまでもありませんが、原語でのマルチリンガル感、世界大戦感も、ぜひ味わっていただきたい。

ということで、レジェンドたちの名ふきカエを満喫し、複雑な話で少しでも理解度の距離を稼いでおくために、まず最初はふきカエでの鑑賞をお薦めします。そして何度目かにはオリジナル原語版でもご覧になることもまた、強くお薦めしたい。ふきカエも確かに良い。しかし原語から失われた重要要素も多い映画でもあります。そういう作品は、この場にお集まりの柔軟な頭の持ち主の皆さんは、字吹Wで見ちゃえばよろしい。「俳優の生の声で聞きたいんだ~」主張で毎度お馴染み字幕原理主義者の方達にはそれができないんだからお気の毒!

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