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野沢那智さんを偲んで— 2010年10月30日 72歳でご逝去された野沢那智さんは、舞台演出家、DJ、後進の育成など幅広く活躍されましたが、何よりも声優としてその創生期から吹替え業界を支えてきました。その業績を振りかえりつつ、声優業界の未来を考えてきた野沢さんの2008年4月に収録したインタビューを掲載させて頂きます。この記事は協同組合日本俳優連合 外画動画部会員に配布されます機関誌「Voice」36号(2008年5月30日発行)に掲載されたものです。最後まで夢を追い続けた、声優の生き様を感じて頂きたいと思います。最後に快く掲載を承諾していただいたご遺族の皆様に感謝いたしますと同時に心からお悔やみ申し上げます。


俳優、声優が所属している日本俳優連合(以後:日俳連)の外画動画部会員に配布されています機関誌『Voice』では毎号、活躍され輝いていらっしゃる先輩方をクローズアップして、普段スタジオではなかなかお聞きできないお話をうかがっています。 今回は、第2回声優アワード功労賞を受賞し、日俳連事業に創成期から積極的に活動いただいている野沢那智さんにお話をうかがいました。

役者 野沢那智 誕生秘話

───役者になられたきっかけをお教えください。

僕はね、役者になる気なんか全然なかったんですよ。
最初は舞台美術家になろうと思って若い頃の劇団四季の金森馨さんのもとで大道具作ってたの。でもそうしたらある時「お前発想は良いんだけど、絵は下手だなァ。辞めたほうがいいよ。今一番足りないのは舞台監督だから、舞台監督やれ」でそのまま舞台監督になって。
その後劇団七曜会に入ったんですけども、もちろん演出部ね。だけどその時、親分の髙城淳一さんが、「お前、役者やれ!」って。勉強になるかなと思ってしばらく舞台に立っているうちに、テレビの生ドラマの仕事が入ってきて「行ってこい」って言われてね。これが、いつも犯罪者少年Aの役。「はい、そこで女性を襲って!」って言われてもどうやっていいのかわからないし、親も観てるしさ(笑)
野沢さん そんな風にとまどっていたら、さすがNHKだね、「まだ入団3ヶ月目でしかも演出部の研究生を出演させるなんぞトンでもない!」と大変なことになってさ。
とにかく、この役者仕事のアルバイトがどうしてもイヤでね、劇団に言ったの。
「ドラマだけは勘弁してくれませんか」
「じゃアテレコやってこい」
「なんですかそれ」
「ほら、最近外国人が日本語でしゃべってるだろ。アレだよ」
で行ったのが、『ハーバー・コマンド』っていう七曜会のユニットで、それが最初のアテレコ。
2年先輩の肝付兼太さんが「大丈夫だよ。俺、後ろで肩叩いてやるから」っておっしゃってね。
それでもずいぶんトラブル起こしてさ。一言しゃべって「あぁよかった。うまくいった」と思って安心して座ろうとした瞬間、「いけねぇ。もう一言あった!」って慌ててマイクの前に立ったその時、ちょうど自分がやる警官がアップになってたもんだから思わず聞いた英語そのままを叫んじゃったんだよね。「ザ・カー!」って!(一同笑い)
他にも肝付さんが肩叩いてくれたのに、思わず「何?」って言っちゃったりね。(大爆笑)
そんな感じで、アテレコはNG続出でした。

役との出会い

───そんなNG続出で始まった役者生活を続けられていらしたのはどうしてでしょうか。

その後俳協に移ったんだけど、もちろん演出をやりたかったし、63年に劇団薔薇座も設立したからアテレコはもう辞めよう、もう辞めようと思ってね。思い切って事務所に相談したら、「いいよ。でも最後に一つだけ、これ愛川欽也さんに決まってるんだけど、一応このオーディションだけ行ってきて」っていわれて。
それでまァ、辞めるんだからと思ってね、そのスタジオに行ったんですよ。スタジオに入ったらミキサールームにいたおじさんがずーっとこっち見ててね。30秒くらい。「よし、お前でやろう! 決めた!」って。「えっ、僕は辞めようと…」って言いたかったけど俳協の名前で来ちゃってるし。で、とりあえずしゃべってみろってことになって。
デビッド・マッカラムっていう役者の吹替えなんだけど、その頃は外国人はみんな低音だっていうのがあったからみんな低い声でやっててね。で僕は、「この人は低音じゃできないよな。若くてひょろひょろしてるし」って思って、頭のてっぺんから出るような声でしゃべったわけ。
そうしたら「それでいこう」って決まっちゃって。「おい、毎週この声でねぇよ俺」って思わずいっちゃった。(笑)
それで結局辞めるわけにもいかなくなって、そうしたら5年くらい続いちゃったんだ。これが『ナポレオン・ソロ』のイリヤ・クリアキン役。

───その役の思い出話などお聞かせください。

この作品は厳しかったですよ。滝山さんっていう大ディレクターでしたけどね。普通は誰かがトチッたところって、後で抜き録りするでしょ? でも彼は何にも言わない。終わると「はい、自覚症状のあるやつ」って言われて、みんな自分で自己申告するんです。先輩たちはみんな録り直してもらってるからね、「僕も」って言ったら、「おまえの録り直すんだったら、今までの全部録り直しだよ。オンエアーで恥かけ!」って。5年間一度も録り直してくれなかった。
新人なんかに抜き録りなんて甘ったれたことしてたらロクなモンになんないって考えだったらしいんですよ。まぁプロの演出家がOK出すんだから大丈夫なんだろうなって思ってOA観たら、はっきりロレってるの。(笑) 今じゃそんなこと許されないけどね。
そういえばこの仕事の時、僕はスタジオから3回飛び出しましたよ。台本叩きつけて。「こんなものやってられるか!!」ってね。
その度に矢島正明さんが追っかけてきてくださって。
四谷のベンチで2人で座って、なぐさめられて一緒にスタジオに帰るわけ。
スタジオっていうのは飛び出す時はカッコイイんですよ。でも戻るときはみっともないんですよね。大御所の大先輩たちがぞろっといるわけで、その中に戻っていくと皆ニヤニヤ。そんな時代でした。

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hirata野沢 那智
(のざわ なち)

1938年1月13日生まれ。東京都出身。國學院大學を中退の後、劇団「七曜会」に入団。その後、劇団「城」、プロダクション「俳協」を経て、1977年(昭和52年)劇団「薔薇座」を設立。演出家・声優として幅広く活動の傍ら後進の育成につとめていたが、2010年10月30日に永眠。享年72歳。

【洋画】『太陽がいっぱい』(アラン・ドロン)、『エデンの東』(ジェームス・ディーン)、『愛と哀しみの果て』(ロバート・レッドフォード)、『ゴッドファーザー1・2・3』(アル・パチーノ)、『ダイ・ハード1・2・3・4』(ブルース・ウィリス) 他多数
【海外ドラマ】『0011 ナポレオン・ソロ』(デビッド・マッカラム)、『刑事ナッシュ・ブリッジス』(ドン・ジョンソン) 他多数
【アニメ】『新エースをねらえ!』(宗方 仁)、『スペースコブラ』(コブラ)、『花田少年史』(徳路 郎)、『チキチキマシーン猛レース』(ナレーション) 他多数
【ラジオ】『パックインミュージック』TBS、『ハローモーニング』文化放送